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狐の王国

人は誰でも心に王国を持っている。

日本人が本当に大嫌いなのは「異質な人々」

不景気だからこその移民政策のススメという記事のコメント欄に集まる外国人排斥的な言論に、移民もまた人間であるという記事でelm200さんが怒ってらっしゃる。

確かに日本人は外国人を避ける傾向がある。いや外国人どころじゃない。同じ日本人相手ですら、自分たちの言葉が通じない相手を極端に嫌う傾向がある。

言葉が通じないというのは、日本語という問題だけではない。その仲間うちで使われてる用語や名詞を知らない相手をひどく馬鹿にしたり避けたりする。

有名企業の名前を知らないだとか、名刺の渡し方を知らないだとか。日本人が「失礼」と感じるもののうち少なからずが「知らない」ことによって発生する。だから反社会的な少年たちは決まって「知らねえ」という言葉を発する。

こういった常識が形成される背景には、単一的な文化がある。万人が共通して「知っているはず」の知識というのがたくさんある。「知らないと馬鹿にされる」知識が山程ある。

おそらく日本において学校で学んだ知識を重要視されない理由もそこだろう。教育は社会に出てから「社会常識」というものを叩き込まれることで始まる。

だがひとたび世界に目を向ければ、そんな常識などまったく通用しない。常識はそれぞれの社会と文化に育まれているからだ。

なぜか東京大学京都大学を卒業した友人や知人が多いのだが、彼らの多くはその出身校をあまり話したがらない。それで相手の態度が変わってしまうのが嫌なんだそうだ。確かにそういう反応をする日本人は少なくない。

だがある東大出身の知人が話してくれたのだが、「東京大学なんて外国にいけばただの無名校」なんだそうだ。朝日新聞の記事によれば東京大学世界ランキングで22位。確かに上位のハーバードやケンブリッジに比べたら相当下だ。ソースはどうもTHEというところらしい。

タイの最高学府であるチェラロンコン大学を多くの日本人が知らないのと一緒だろう。チェラ大だってランキング138位で慶応大学や早稲田大学より上だったりするのだが。

かようにそれぞれの文化圏、それぞれの社会で、もっと言えば個人によって、持ってる常識は違う。確かに常識を共有する相手との付き合いは楽だろうが、それに甘えて常識の違う相手を排除していい理由なんて無い。

そういったローカルな常識にとらわれていると、「世界常識」といえるようなものを見失っていく。世界にはたくさんの人がいて、彼らがお互いの常識を越えてつきあってることを知らないのではないか。英語の価値を低く見積もる人は、ネイティブが誰一人いない場所で英語が話されてる現場を知らないのではないか。世界に比べて日本の治安が本当にいいと思いこんでいるのではないか。

ローカルな常識をあまりに当然のものと思いこみすぎて、正しいものさしを失ってしまっているのではないか。

世界には日本の常識を知らない人々がたくさんいる。それは彼らがバカだからでも失礼だからでもない。一般的な日本人と違う常識を持ってるだけのことなのだ。そりゃもちろん教育度の差があることもあるけどさ。

日本はもう一度世界を相手に戦う必要がある。日本は技術立国として世界と戦って来た。いい製品を作って売って来た。しかしそれらはコモディティとなり、生産コストの安い国に流れていった。コモディティ化を始めたのはもちろん日本だった。

コモディティではない新しい何か。それはイノベーティブな新製品かもしれないし、文化的な何かかもしれない。それらを世界に広げる、日本そのもののグローバル化。日本から広がるグローバリゼーションこそが今求められている。

移民や英語は、そのための重要なツールとなるであろう。

Sugano `Koshian' Yoshihisa(E) <koshian@foxking.org>