狐の王国

人は誰でも心に王国を持っている。

日本が発展途上国に落ちる日

この前書いた記事が意外に反響あっておもしろかった。なんだかこの三十数年に受けてきたいろんな事を思い出しむかつきしつつ、思わず書いてしまったのだが、実のところ「変人」と思われるのはオイシイ面もある。話のネタにはことかかないし毎度ツッコミが入るポイントは何度もやってりゃ返しも洗練されて来るのでウケる。インパクトが大きいせいか覚えててもらえるしね。商売上は有利なもんですよ。

が、それを幸福と思うかどうかはおまえらが決めることじゃねーんですよ、というのが前回の趣旨なわけだ。

反響はネット上にとどまらず、昨夜id:elm200さんがバンコクに来てらしたので、話のきっかけにもなった31o5さんと一緒にごはんを食べに行った際にもその話になった*1

そのとき話し合ったのは、「日本人って違いを見付けるのが上手だよね」って話。バンコクにはいろんな国から人が来てるが、並んでるテーブルの高さが違ってても気にする人なんていないよね。日本人は5mmくらい違ってても気にするよね、いや1mmでも気にしちゃうんじゃね? と、まあそんな話。

こういった特質は、製造業には非常に有利だ。同じものをたくさん作る大量生産大量消費時代、日本はその特質をいかんなく発揮して世界第2位の経済大国に昇りつめた。そしてその結果、日本人の平均賃金は急上昇し、円の価値はあがり、おかげで金持ちでもない俺がぶらっとタイに来てみただけで急に金持ち扱いされて、確かに日本と同程度のお金をはらうだけで、日本じゃ考えられないようなサービスを受けられたりしているわけだ。

が、その分は製造コストなって跳ね返って来た。

日本で作ってたら賃金が高すぎて値段がつりあわなくなる。日本の工場はアジア諸国へと進出を始めた。

消費が拡大しているうちはまだそれでもよかった。しかし世界的金融危機が訪れた今、急速に「日本での日本人がやる仕事」が消失しはじめた。

俺は経済学を知らないので断言はできないが、この方向は景気が回復したからとしても、もう戻せないのではないかと考えている。

その理由はいくつかあるが、主に経団連が賃金低下を目標に掲げてるとしか思えないからだ。外国人労働者を1000万人移民してもらうというアイデアは、どう考えても日本人の賃金を低下させるためだろう。だって安い労働力というだけなら海外でいくらでも買えるのだ。わざわざ日本に連れて来る意味は、安価な労働力と価格競争をさせ、日本人の賃金も下げさせるためだとしか思えない。

そしてそこまでして賃金を低下させる意味を考えれば、経団連の目指す次世代の日本像が浮かび上がる。

すなわち日本は高度経済成長当時のような、製造業の強い国たらんとしてる。コモデティ化した電化製品や自動車を輸出し、それで利益が出る国に、もう一度戻したいと考えているのだろう。

しかしそれは日本が再び発展途上国に戻ることに他ならない。なぜなら安いものを作って売る以上、円が強すぎてはいけないし、街には安いものが溢れなくてはならない。

実現すれば今みたいにぶらっとタイに来てお金持ち化しちゃうようなことは二度と無くなるだろうし、そもそも海外に行ける人間が相当限られて来るだろう。

製造業にはいい社会になるかもしれないが、旅行業界は大打撃だろうな。

そしてこの方向はアジア諸国が取っている方向でもあり、ライバルは多い。安値競争の行きつく先は共倒れしか無い。

そうして日本は再び発展途上国になるのだ。

もちろんそうならない方向も考えられる。いただいた反響の一つにすばらしいものがあった。

ちょっと多めに引用させてもらう。

そしてたぶんここで「いやそもそもムラを拡大する必要はない、十分だ」という人がいるかもしれない。これはしかし外的要因、グローバル化する社会という日本ムラ社会よりずっと強力なムーブメントにより否定される。正確にはグローバル化ムラ社会を否定しない。ただ、グローバル化を認めないムラ社会は、容赦なくグローバル化に押しつぶされるだけである。もっというと、村を拡大するのは有史以来の流れである。常に相手より強力な組織化こそが文明の勝利の鍵だった。
(中略)
かつて日本社会が、欧米人より高い組織化レベルをもってして圧倒的な勝利を築いたのは10年以上前である。それがいまやどうだろう。日本より優れたムラ社会をもった欧米に完全においてきぼりである。

話がずいぶん発散してしまったが、まあ「変人で何が悪い」と怒ってもやはり何も始まらないのである。むしろ「変人を許容しないあなたの態度は、日本社会の発展を阻害している」ぐらいいってやったほうがいいのではなかろうか。

叩かれるべきはムラ社会制度ではなく、ムラが小さすぎることに対して | 独り言v6

そう、ここで話は「変人」の扱いに戻る。

「違いを見付ける」のがうまい日本人は、その「違う人」を排除する傾向がある。新卒信仰やいわゆる「履歴書の空白」なんかもその一つであろう。画一的な教育、みんなが同じ服と帽子を身につけ同じ動きをする運動会なんかその最たるものだ。

しかしそういった同調圧力、同質性をベースにした「組織力」ではもはや勝てない時代になってしまった。ならばと一度は大成功をおさめた製造業に戻りたい気持ちもわからないでもない。

だが本当に必要なのは産業の改革であって、昔に戻ることではない。昔に戻るのは、発展途上国に戻る道だ。

少し前に話題になった記事だが、

この記事で指摘されてるようにもはや日本人は「チームプレイが苦手」な部類にはいった。恐らく20年ほど前までは「チームプレイが得意」な部類だったのかもしれないが、それから変わらずにいたら世界はもっと先に進んでた、という話なのではないかと考えている。

日本は結局外国人労働者を受け入れる事になるだろう。しかしそれは「安価な労働力」としてではない。もっとも成功した国内のウェブサービスであるmixiを作ったのはインドネシア人ではなかったか。

必要なのは多様性なのだ。そしてその多様性を受け入れるだけの土壌こそ、今の日本が切実に必要としているものなのだ。

日本は資源の無い国だから、情報産業や娯楽産業こそが次代の日本を担うべきだと考えてる人は少なくない。だが、それを作り上げていくためには、多様性を受け入れる必要があるのだ。

日本のアニメは意外に古くから世界市場を相手にしている。宮崎駿の往年の名作でもある「アルプスの少女ハイジ」、こういった作品に代表される世界名作劇場シリーズなど、ヨーロッパでの放送も前提にあちらの業者と共に作り上げて来たと聞いている。

なぜ文化のまったく違う日本とヨーロッパでともに受け入れられるものが作れたのか。

それはやはり「同じ人間」だからではないか。今は深くそう思う。

冒頭で話した3人での食事会、3人で話し合った内容には、「違うところが見付けられるなら、同じところも見付けられる」という話もあった。

そう、日本人の得意とする「違いを見付ける能力」は、少し方向を変えれば「同じところを見付けられる能力」になるはずなのだ。

そしてそれはさきほど引用した記事にも指摘されてるように、

そのためには、ムラはより異質な人間を受け入れる形に変貌しなければならない。そのために必要なことは、ムラの構成要員に要求されるものを減らすことである。減らすのは並大抵なことではない。血縁でない人を家族にするのにどれだけの壁があるか。外国人参政権を認めるのがどれだけ大変か。

叩かれるべきはムラ社会制度ではなく、ムラが小さすぎることに対して | 独り言v6

そう、とても大変なことではあるが、「同じだ」と認識できる範囲をある程度拡げる必要があるということだ。

君と僕は違う。目の色も肌の色も違う。考え方も好きな食べ物も違う。けど同じ人間だ。だから一緒に働ける。

そういう組織を作り上げなければ、これからの日本に未来は無い。

発展途上国に戻りコモデティ製品を作り続けるか、産業構造を改革して新しくて強い組織に作り変えるか*2

あなたはどちらを望みますか?

*1:その31o5さんからも反応を頂いた。「ふーん」て思う | 31o5.com/もう一つの何で日本人なのに英語がしゃべれるの? | 31o5.comという記事とあわせて読んでみて頂きたい。

*2:実は第三の道もある。高級品だけを作り続けるという道だ。しかしそれを望んでる産業界の経営者はあまりいなさそうだね。

Sugano `Koshian' Yoshihisa(E) <koshian@foxking.org>