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狐の王国

人は誰でも心に王国を持っている。

他人の生活を想像する力は、残念ながら人間には無い

は〜い、とお返事という記事。

俺の周囲には明確な「障害児」は今のところいない。ライン上かなあと思うこともたまにあるが、まあ普通に生活してるしそう大したことでもなかろうと思う。

が、年輩者には失明してしまった人や、聴覚を失った人などが、周囲にいる。それは後天的なもので、かなり苦労されたようである。俺が物心ついたころにはその状態だったので、俺にはその苦労はわからないのだけども。

小さい頃からそれが当たり前だったせいか、耳が聞こえない人には正面を向いて唇の動きを見せるだとかそういうのも、俺にとっては普通の事だった。

逆に、自分がそういう生活を送る事への想像は、貧弱だった。

自分のライフスタイル的に足の一本くらい(特にクルマの運転でATならほぼ使わない左脚)は失っても大きな問題は無さそう*1なのだが、聴覚や視覚、腕などを無くしてしまったらどうなることか。

自分がそういったものに依存してる事は、失ってみないとなかなかわからない。試しに目隠しや耳栓をして1日過ごしてみるといい。歩くだけでも相当苦労するはずだ。

前に目の検査で瞳孔を開く薬を使った事があるのだが、これがえらい苦労した。半日ほど目が使いものにならなくなる。がんばればPCの文字も読めなくは無いのだが辛い。本も同様。音楽を聞いてるだけというのも退屈でしょうがない。

自分が仕事だけじゃなく、娯楽面においても相当視覚に依存しきっている事を自覚させられたものである。これが完全に見えなくなったらどうなることやら。

こういう事は本当に体験してみないとわからない。無自覚に依存してる自分の感覚や器官というのは、失ってみるという体験が無いと本当にわからない*2

ソクラテス無知の知ではないが、人間は神様じゃないので、そんなもの想像だけで理解できるはずがないのである。

状況 仮想体験
目が見えない 目隠しで生活してみる
耳が聞こえない 耳栓をして生活してみる
足が無い/動かない 車椅子で生活してみる
腕が無い/動かない 手を後ろ手に縛って生活してみる
神経系による全身倦怠感 体中に指先まで重りを付けて生活してみる

これくらいの体験学習は、義務教育でやっておいてもいいんじゃないかと思う。知的障害あたりになると仮想体験が難しそうだが……。

ともあれ、実際に他人の生活を想像するというのは非常に難しい。障害や病気だけのことじゃない。田舎でいかに車が必要かというのも都会暮らしの人間にはまったく想像が付かないし、都会で車に乗るのがいかに大変かというのも田舎の人間にはわからなかったりする。

結局、他人の生活は想像できないんだということを、ある程度自覚的に生きるくらいしか手は無いんじゃないかい?

*1:もっとも運動量がどうしても減るので健康体維持が難しそうではある。あと歩行をゼロにできるわけでもないのでそれも大変そう

*2:こういうところで活用されるべきなのがバーチャルリアリティなんだが、マスゴミの連中のせいでアホみたいなものにされつつあるな

Sugano `Koshian' Yoshihisa(E) <koshian@foxking.org>