狐の王国

人は誰でも心に王国を持っている。

天才はそこかしこに溢れている


少し前に「天才」ネタの話が盛りあがってた。

天才コンプレックス - shi3zの長文日記
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「天才」という言葉にはいろいろ劣等感やコンプレックス、憧憬その他いろんな感情が入り混じりがちで、どうしても冷静に見れない部分が多いような気がする。

が、俺はこの言葉を辞書的な意味でしか捉えてない。

生まれつき備わっている、きわめてすぐれた才能。また、その持ち主。

http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%C5%B7%BA%CD&kind=jn

これだけの意味だ。

そして、「きわめてすぐれた才能」というだけなら、意外とそこかしこに天才はいる。ユビキタス天才って感じ。

勉強なんてあえてしなくても、授業をぼけーっと聞いてるだけでなんとなくテストでいい点取れちゃう奴もいる。
なんだか知らないけどやけに柔軟な体を持ってて、ふだん目立たない癖に体操やったとたんに歓声があがる奴もいる。
努力なんてまったくしてないし、自分でもなんでできちゃうのかわからないんだけどやってみるとできちゃう。それもけっこうがんばってる奴よりずっとうまくできちゃう。

もうそれはね、そいつが天才だからとしか言いようが無い。

じゃあ、そいつら天才が人材として重宝されて立派な社会人になって大儲けして幸せな人生を送ってるかっていうと、実際そういうわけでもない。

結局ね、どんな天才もきっかけや環境が必要なんだよ。生まれ持った才能だけでどうにかなるほど、世の中甘くない。むしろ才能に恵まれて努力する習慣が付かなかった奴より、地道に積み重ねることを覚えた奴の方が最終的には強かったりする。

それに「まったく役に立たない才能」なんてのもあるんだよ、実際。

俺はたいていなんとなく北の方角がどっちかわかるのだが、そんなもの街中で役に立ったためしは無い。たぶん的中率は7〜8割といったところだろうが、これが10割になったところで役に立つ事は生涯あるまい。そもそも方角なんぞ星なりなんなりを観察すればわかるのだから、こんな方向感覚があったところで役に立つ局面は少ない。

別に努力して身につけた能力というわけでもないし、役立たずの能力だからといって損した気分にはならないのだが、こんな素質よりもっと欲しかった才能がごまんとある。

そういうわけで、実は多くの天才はたいてい「変な奴」扱い程度が関の山で、その素養を引き出してくれる大人に出会う事もなく、社会の隅っこで肩身せまい思いしながら生きてたりする。

あとあれだ、才能の片手落ちってのもある。音感がめちゃくちゃいいのに手先の不器用なピアニストみたいなもんで、ひとつの才能に秀でただけでは飯の種にすらならなかったりするわけだ。
カーレースの天才でF1行くくらいの才能を持って産まれて来た奴ってのはたぶん世界中に何百人何千人といるだろうが、そもそも子供のうちからレースの世界に行けるほど裕福な家に産まれた奴自体が少ないし、その才能を世界レベルにまで磨き切れる奴もそうそうおるまい*1

貧しい国に産まれて明日の食事にも事欠くプログラミングの天才なんてのも、実はたくさんいるんだろうと思う。コンピュータに触れたことがないだけで。

結局才能に恵まれた奴はけっこういるものの、それだけで幸せになった奴なんてのは皆無なのではないか。

才能は生まれつき。だがそれが芽吹くためには、子供の頃の大人の対応が絶対に必要。

プログラミングの素質を持ってたって、20歳までプログラムを書いたことが無かったら、どれだけの才能があろうともそれが芽吹く事は無いだろう。いいとこ十把一絡のプログラマから頭いくつか抜けた存在、というところではないか。

そして千里馬の故事のように、才能はそれを見いだす人間がいてこそ発揮されるのだ。

きっと人はなんらかの才能を持って産まれて来てるはずだと、俺は思う。ただそれが産まれ落ちた環境では意味が無かったり、誰にも見いだされずに終ってしまうことが多いだけで。

1日1チベットリンク
http://www.news.janjan.jp/world/0805/0805106774/1.php

*1:それもあって佐藤琢磨はマジスゲエと思うのだよ。

Sugano `Koshian' Yoshihisa(E) <koshian@foxking.org>